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応挙の生家跡と修行の寺 |
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応挙が修行した金剛寺 |
金剛寺は応挙の生家跡から歩いて10分くらいのところにある。
応挙が幼少時を過ごしたことから別名「応挙寺」ともいう。
まず目に付くのが、龍宮城のような門。
「金剛窟」という立派な扁額や、小ぶりの鐘も下がっている。風格のある門に対して、本堂や蔵は新しく、少し、拍子抜けしてしまう。
金剛寺でも、応挙はお経を読むよりも絵ばかり描いていた。
そんな応挙に愛想をつかしたか、はたまた絵の才能を見抜いたのか、住職は京都に出ることをすすめたという。
父母もしかたなく応挙を京都の町家に奉公に出した。
ほどなく応挙の画才は周囲の人々に認められるようになり、画家・石田幽汀に弟子入りし、本格的に絵の勉強をするようになった。
後、応挙は円山派を開き、山水画、動物画、眼鏡絵、幽霊画など、様々な絵を描いた。
天明8(1788)年、応挙は父母の追善供養のために、金剛寺本堂に障壁画を描いた。
山水図、群仙図、波涛図など、いずれも重要文化財に指定されている。
幼少時、修行した寺に障壁画を残した応挙の心中には、世話になった金剛寺への感謝の心もあったかもしれない・・・。 |
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