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石田梅岩生誕碑
間での道しるべ |
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ガレリヤ亀岡内の
石田梅岩に付いての展示 |
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石田梅岩は丹波国桑田郡東懸村の農家の次男に生まれた。
梅岩は子供時代に父の山へ遊びに行って、栗の実を拾ってきた。
しかし、父は「隣の家の栗の木から落ちた実だから、返してきなさい。」と言って、返しにやらせたという。
のどかな山村でおこりそうなエピソードである。
このような厳格な父に育てられた梅岩だが、8歳の時、京の商家へ奉公に出かける。しかし、15歳の時帰郷。丹波ののどかな雰囲気の中で農業に従事していた。23歳で再び京の呉服屋に奉公に出る。
商いをしながら、様々な思想を学び、43歳の時、京都の小栗了雲に師事。
1729(享保14)年、45歳で自宅(車屋町御池上ル)に講席を開く。
東掛の石田梅岩生誕地には、今でも彼の生家が残っている。
簡素なただずまいの生家跡を見ていると、「負けるが勝ち」と言っている梅岩の思想が見えてくるようだ。
梅岩の命日に当たる9月24日には彼の生家近くの東別院町東掛の春現寺で「石田梅岩墓前祭」が行なわれる。
梅岩の遺徳を偲び、地元住民や心学関係者が多数集まるという。 |