源頼政と頼政塚


● 頼政塚(よりまさづか)

頼政の首を葬ったとされる頼政塚

頼政塚山上にある頼政の墓碑
 亀岡の歴史と伝説を訪ねる旅をしたくて、バス停「頼政塚前」で降りてみた。
しかし、あたり一帯は住宅地で、墓らしきものは見当たらない。
近くのご夫婦に伺ってみると
「あそこに見えるこんもりとした山が頼政塚です。」
とのこと。
バス停から南に徒歩10分。あの山が頼政塚だろうか?

山頂近くの小学校の裏に源頼政の墓と伝わる石碑が建っていた。

源頼政は高倉天皇を悩ましていた鵺(ぬえ)を退治した功績により、天皇からこの近くの矢田の地を賜った。
後に平家追討のため、以仁王を奉じ、三井寺の僧兵を率いて清盛らと戦ったが破れ、宇治の平等院で自刃した。後、家来が頼政の首を領地のあったこの山に葬ったと伝えられている。

しかし、元来、頼政山はこの地方の豪族を葬った古墳でないかと言われているそうだ。

住所:亀岡市西つつじケ丘町つつじケ丘小学校裏
アクセス:京都交通バス/頼政塚前より徒歩15分

● 源頼政のその他の史跡in亀岡
・矢根地蔵(やのねじぞう)

頼政は鵺退治の際、守り本尊の横町の地蔵にお参りした。
するとその晩、地蔵が夢枕に立ち、
「矢田の鶏山の白鳥の羽で矢を作り、それで退治しなさい。」 とのお告げをされた。
頼政がそのとおりにしたところ、見事鵺を討ち果たしたという。
頼政を助けた地蔵は「矢の根地蔵」と呼ばれ、今でも横町西堅町の矢の根地蔵堂に「源三位頼政守本尊」として祀られている。

住所:亀岡市横町西堅町

 ・源頼政(みなもとのよりまさ/1104-80)
平安末期の武将。源氏でありながら平治の乱に源義朝につかず、宮中に出仕。
和歌の名手としても名高く、和歌によって三位を得て、源三位(げんさんみ)と呼ばれた。
鵺退治の功績により、高倉天皇より丹波の国矢田に領地を賜ったともいう。
後、以仁王を奉じて平家追討の兵を挙げたが破れ、宇治、平等院で自刃した。
頼政の首を家臣が領地がある矢田の地へ持ち帰り、葬ったのが「頼政塚」とも言われる。



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